子どもにスマホをもたせるメリットとは?

適切に使用すれば有益なツールとなる

「子どもとスマホやインターネット」について話題になるとどうしても子どもに対する良くない影響の方が注目されやすいです。

もちろん、子どもをさまざまな危険から守ることは親の役割の中でも最重要事項の1つであり、また親自身が子どもの頃にスマホやインターネットがなかったことを考えること、より慎重になることは仕方がなく、また必要なことであると考えます。

しかし、その一方でスマホやインターネットを適切に使用することにより、「新しい学びの形」や「従来とは異なるチャレンジや活躍の仕方」が可能となるなど、子どもにとって利益をもたらすことも可能となります。

そこで、「子どもがスマホを使用することでのメリットや可能性」について紹介させていただきます。

①必要な情報へ速やかにアクセスできる

インターネットの端末としての役割が、やはり最も有益な点であると思われます。

わからないことや、興味をもったことをすぐに調べられることはやはり何にも代えがたい便利な機能です。

もちろん、自分の頭でしっかりと考えなくなることで思考力が低下したり、記憶力が低下するリスクは確かにあります。

その一方で、情報を速やかに得られることで可能となることもあります。

私たちは基本的に頭の中にある知識や情報をもとにさまざまなことを考えます。

例えるならテーブルの上に並んだ食材をもとに料理をするようなものです。

そして、知識や情報が足りなければ、従来であれば本や誰かに聞いたりして補うことで思考の継続が可能となります。

食材が足りないときに冷蔵庫やパントリーに取りに行くイメージです。

しかし、もしすぐに必要な本が手に入らなかったり、まわりに聞く人がいない場合は1度思考を中断せざるを得ません。

自宅のどこにも食材がなければ、1度買いに出る必要があります。

考えれば答えが出ることであれば、可能な限り悩むべきですが、「日本の人口の推移」や「ミトコンドリアとは何か?」など調べない限り答えがわからないことは、早く調べるに越したことはありません。

速やかに調べることにより、長時間中断せずに思考をつづけることができます。

もちろん、「どのような場合に早めに調べるか?」「どのような場合にじっくり考えるか」を判断できるようになる必要はあります。

しかし、その判断が可能となれば、従来よりも発想力が高くなる可能性すらあります。

知識や情報は、理論を組み立てる「部品」のようなものであり、「部品」は多い方がより複雑な構造を組み立てることができます。部品が多いほど、難易度が上がり混乱すするリスクも高くなりますが。

ただし、勉強スペースへスマホを持ち込むと集中力が低下する可能性が高いため、学習の際には休憩中がおすすめです。

② 直接会わなくてもコミュニケーションが可能となる

メールやSNSを利用することで、家族や友人と連絡をとりやすくなることは言うまでもありません。

また、従来の通話機能に加え、顔を見ながら通話することもできます。

それだけでなく、世界中の人とつながり、コミュニケーションすることが可能となります。

もちろん、直接会って行うコミュニケーションとメッセンジャーアプリやSNSで行うコミュニケションは別物です。映像を使っての会話でも同様です。

実際に同じ空間を共有し、表情や身振りをみて、声のトーンを聞き、間や雰囲気を感じながら行うコミュニケーションは端末を通じて行うそれとは明らかに異なります。

しかし、直接会うことができない人とつながることができるというのは大きな意義があります。

以前は、特別仲の良い友達を除いて、同級生であっても学校以外でどのように過ごしているかは意外と知りませんでした。

しかし、SNSによって学校以外での同級生の様子を知ることができたり、メールのやり取りをするほどではなくても、「いいね」などで緩やかにつながることもできます。

あるいは、以前は同窓会にでも行かない限り一生関わることがない人も多かったですが、SNSによって卒業後も関係が完全に途切れずに済む場合もあります。

③ 新しい活躍の場やきっかけとなる

子どもがインターネットを通じて情報を発信することについては、やはりその危険性の方が注目されることが多いです。

実際、インターネットの性質やリスクをよく理解せずに使用することにより、気づかずにトラブルに巻き込まれたり、犯罪の加害者や被害者になってしまう場合もあります。

例えば、自分の個人情報を投稿してしまい消したくても消せなくなったり、友達や有名人の悪口を投稿して名誉棄損で訴えられたり、冗談のつもりで犯行予告をして大きな騒ぎになったりといったものなどです。

インターネットの普及以前からも、テレビ番組やゲームの内容が子どもに与える影響が議論されることはしばしばありました。

しかし、従来のメディアはあくまで一方向性であり、あくまで「情報の受け取り方」の注意が中心でした。

一方でインターネットにおいては情報のやりとりが双方向性であり、誰でも全世界に向けて情報の発信が可能となります。

この点がこれまでになかったリスクの原因となっています。

さらに、スマホの場合は簡単にインターネットにアクセスできるだけでなく、子どもがどのように使用しているかが見えにくく、親が気づかないうちに問題が大きくなってしまう可能性が高いという特徴もあります。

その一方で、「誰でも情報を発信できる」ことは子どもが社会で活躍するための新たな可能性にもなりえます。

分野によっては、未成年でも大人以上の能力を発揮する場合がめずらしくありません。

例えば、絵を描いたり、ゲームをつくったり、曲をつくったり、マンガや小説を書いたりする能力は、技術面ではどうしても経験のある大人よりも不利ですが、感受性や発想力は未成年の方が有利となる場合もあります。

しかし、従来のしくみでは仮にすばらしい作品やアイデアを思いついても、それを社会に発表することは容易ではありませんでした。

出版社やレコード会社、ゲーム会社などに認めてもらい、契約を行うことではじめて世の中への流通が可能となりますが、それは未成年にとっては高すぎるハードルです。

その点、インターネットを利用することで、未成年であっても作品を全世界に発信することができます。

スマホを使用すれば、パソコンの操作や撮影機材なども不要であり、より簡単に世の中に知ってもらうことが可能となります。

④ 新しい学びの形が可能となる

スマホ、そしてインターネットを使用することで、これまでとは異なる学びの形が可能となります。

従来は授業を受けるためには、学校あるいは塾へ直接行く必要がありました。

自宅にいながら授業を受けるためには家庭教師を利用するくらいしか選択肢がありませんでした。

しかし、インターネット環境されあればスマホやパソコンで映像授業を受けることができます。

現時点では学校の授業をライブかオンライン授業かで自由に選択できるまでには至っていませんが、コロナ禍をきっかけにそのハードルは大きく下がったといえます。

一方で、学習塾などではオンライン授業や映像授業はかなり導入がすすんでおり、そちらがスタンダードになっている塾もあります。

言い方は悪いですが、人間である以上学校や塾の先生にも相性や「当たりはずれ」が必ずあります。

そして、勉強したい気持ちはあっても何かしらの事情で学校や塾に通うことができない場合もあります。

オンライン授業や映像授業を活用することによって、より自分に合った学習の形を実現できたり、より相性の良い先生と出会える可能性が高くなります。

余談ですが、オンライン授業や映像授業が一般的でなかった時代では、遠くの予備校まで人気講師の講習を受けに行くなんてこともめずらしくありませんでした。

つまり、「人気講師や人気予備校に通う」という視点でみると住んでいる場所による有利不利があるという事実がありました。

しかし、オンライン授業や映像授業は日本中どこにいても移動することなく同じ授業を受けることができるため、場所による格差が解消され、学びの機会の平等につながります。

個人的には、特定の先生の講義を受けることよって受験に有利になったり不利になったりすることは少ないと思っていますが。

インターネットと英語学習

もう1つ今後個人的に重要となると考えている意義は「外国語の学習」です。

中学高校の6年間(現在では小学校5年生から8年間)しっかり英語を勉強しても、旅行や仕事で不自由なく英語を使いこなせる日本人はごくわずかです。

近年は「読む」「書く」だけでなく、より「聞く」「話す」ことに重点を置く傾向にはありますが、日常会話レベルの英語を自由に話すことができる日本人が多数派となるのは難しいと個人的には考えています。

その大きな要因の1つが「日本で生活する上で英語を話す必要がある場面が少ない」ことです。

日本で日常生活を送る上で、英語を話せないことで苦労することは日本ではそうそうありません。

そのような状況で机に向かって「お勉強」として英語を学んでいても、言語として使えるようにはなかなかなりません。

そもそも日本語と英語は言語距離が遠い全く別の言語です。

「英語と構造が似ているヨーロッパの言語圏の人が英語を学ぶのと、日本人が英語を学ぶ」のでは、下手をすれば「テニス経験者がバドミントンを習うのと、ラグビー経験者がバドミントンを習う」くらいハードルの差があるかもしれません。

しかし、現在の形で英語を学ぶこと自体は、今後の日本社会においても意義があると私は考えています。

「英語を使わなくても不自由することがない日本」「英語とは遠い言語である日本語が第一言語となっている日本」「にも関わらずさまざまな外国語がカタカナ語として入りこんでいる日本」「それでも仕事で使わざるを得ない場面が増えてきている日本」という背景をもとに、社会で少しでも使える程度まで基礎からじっくり学ぶ日本独自の英語、いわば「和製英語」を学ぶ教育は今後も必要と考えます。

その一方で、「生きた英語」すなわち「使える英語」を身につけることは国際社会で生きるためにはまた必要なことです。

そのためにはどうすればよいのでしょうか?

最も効果的であり効率的である方法は、もちろん「英語を話すこと」です。

「英語を使わざるを得ない状況で一生懸命コミュニケーションをとろうする」経験によって少しずつ意思疎通が可能となります。

そのような機会を得るための従来からある手段が、留学であり、ホームステイであり、旅行であり、英会話教室でした。

しかし、インターネットを利用すれば新たな形でそれが可能となるかもしれません。

例えば、英語で会話することができるサイトなどを利用すれば、スマホ1つで英語専門塾や英会話教室に通わなくてもネイディブの人と気軽にコミュニケーションをとることができます。

さらに、意思疎通が可能となればお互いの国のことについて教え合うことができます。

実際に留学するのとは全く異なるとしても、日本にいながらでは従来不可能であった経験をすることができます。

個人的にはスマホの大きな可能性の1つであると考えます。

スマホが子どもの居場所となる場合もある

子どもが隙あらばスマホをいじっていたり、他の活動をほとんどしなくなってしまった姿をみると、親としては「スマホこそ諸悪の根源」、「スマホがなくなれば良い方向に向かうはず」と考えスマホを没収したくなるかもしれません。

実際、スマホ依存を予防したり、スマホ依存から立ち直るためには、依存の対象であるスマホと適切な距離をとることは必須となります。

しかし、だからといっていきなり強制的にスマホをとりあげることはおすすめしません。

なぜなら、子どもにとってスマホが「唯一の居場所」となっている場合があるからです。

学校生活や人間関係、家庭環境などに何らかの問題をかかえる子にとって、スマホが限られた「安心できる逃げ場」になっているかもしれないのです。

「ストレス」や「孤独」の感じ方や表現の仕方は1人1人異なります。

一見仲の良い友達もいて、家族との関係にも問題がなく、明るく毎日を過ごしているようにみえても、実際は強いストレスや孤独をかかえていることは、特に思春期ではめずらしくありません。

そのような状況で、例えば「直接会えない元同級生に相談することで気持ちが楽になる」、「SNSで自分と同じようなことで悩み、苦しんでいる人がいることを知り安心する」、「SNSでどこの誰かもわからない人に共感してもらうことで自分の価値を実感できるようになる」など、スマホが心の支えとなっているかもしれません。

いきなり一方的にスマホをとりあげることは、その子が安心できる居場所や逃げ場を奪ってしまうことを意味します。

スマホと距離をとることが必要であっても、先に「子どもにとってスマホがどのような存在になっているか」を慎重に評価し、もし心の支えとなっている場合は、スマホ以外で安心できる居場所をつくってあげることを優先する必要があります。