Q、来年から就活が始まりますが、特にしたい仕事がありませんし、できることなら働きたくありません。
仕事はお金とやりがいとどちらが大切でしょうか?
多くの人にとって仕事は人生において大きな割合を占めます。
企業に入社して正社員として働き続ける場合は、一般的には1日8時間×週5日×4週間×12か月×40年以上働くことになります。
「仕事はお金をかせぐための手段であり、楽しさは趣味や友人家族と過ごす時間に求めればいい」と割り切って働くことも考え方として1つの答えだと思いますし、実際にそのように考え日々働いている方も多いと思います。
しかし、「自分に合った仕事」「やりがいのある仕事」に出会えれば、仕事自体が充実した時間となり幸福度はさらに上がります。
そこで今回は、「何のために働くのか?」の考え方を紹介します。
日本では、高校や大学を卒業後「新卒」として企業に入社し、そのまま長年働き続ける場合が多いです。
キャリアの途中で(あるいははじめから)起業、自営業を選択する人もいます。
以前と比べると転職したり、新しい働き方を選択する人も多くはなっていますが、海外と比べるとまだまだ少ないのが現状です。
また、業種や職種、年齢や資格、子どもの有無などの背景が異なれば、仕事の「意味」や「位置づけ」など価値観は1人1人異なるのは当然です。
そこで、今回の記事では「何のために働くのか?」の「答え」を提示するのではなく、考える「手がかり」となれればと考えております。
これから社会に出る学生の方はもちろん、現在の仕事や働き方に疑問や違和感を感じている方にもぜひ読んでいただければ幸いです。
何のために働くのか?
各論に入る前に、全体像をわかりやすくするために1つ例をあげます。
あなたが「狩りをすることで日々暮らしている村」の村人になったことを想像してください。
日本人のルーツが狩猟民族であったか農耕民族であったかという議論は一旦横に置いてください。
あなたは毎日、食料や衣服になる動物を山へ狩りに行きます。
さて、あなたは何のために働くのでしょうか?
最もシンプルにいうと「生きる」ためですね。
私たちは食べなければ生きていくことができません。
自分自身と家族が生きていけるだけの食料を確保し続ける必要があります。
それでは、自分と家族が安心して食べていけるだけの食料を安定して得られるようになったらおわりでしょうか?
そこで満足しないのが私たち人間です。
例えば、食べきれない程の食料があれば、その日獲物がとれなくて困っている仲間やその家族にわけてあげたくなります。
また、狩りがうまくいかず困っている仲間がいれば、手伝ってあげたくなります。
獲物を分けてあげたり、狩りを手伝うことで感謝されれば、うれしくなりもっと感謝されたくなります。
あるいは大きな獲物を狩ることで賞賛されたり尊敬されたくなります。
さらに、狩りを続けるうちに技術が上がり、狩り自体が楽しくなってさらに大きい獲物を狩りたくなります。
このように、1つの目的を達成してもそこで満足することなく、欲求がどんどん強くなることが多いのです。
すると、ただ必要にせまられたり義務感だけで働くのではなく、充実感や有能感、仕事自体にやりがいを感じながら働くことができ、知識や能力もどんどん蓄積していきます。
その結果、仕事自体の質や成果が大きくなることで、自分や家族以外にも利益をもたらします。
つまりは、「自分の幸福を追求することで周りの人にも幸福をもたらす」ことができるのです。
アメリカの心理学者マズローが提唱した「欲求5段階説」でも、人間の欲求は「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の順に高くなるとされています。
高いレベルの欲求を満たすことができれば、より充実感や幸福感、仕事のやりがいを得やすくなります。
「マズローの欲求5段階説」については別記事でも紹介しています。
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「自分の利益のための行動は悪」、「他人の利益のための行動は善」、「金儲けは悪」、「清貧が善」のように分けられて議論されている場合がしばしばあります。
もちろん、「自分の利益のためなら、他人のことなんてどうでもいい」という考えは褒められるものではありません。
しかし、「情けは人の為ならず」ということわざがあるように、「自分のため」と「他人のため」は必ずしも対立するわけではありません。
例えば、「感謝されたりほめられるのがうれしくして、ごみ拾いのボランティアを続けている」というのは「自分のため」でしょうか?「他人のため」でしょうか?
あるいは、「内申書、履歴書に書けば入試や就活で有利になるかもしれない」という動機でボランティア活動をしている場合は、「自分の利益のためにボランティアを利用するなんてけしからん!偽善だ!」と批判されそうですが、活動しているうちに活動自体が楽しくなった場合も同じように批判されるべきでしょうか?
そもそもその活動をありがたく思ってくれる人が1人でもいれば決して偽善ではありません。
もちろん、「内申書、履歴書のため」のような動機をあえて明言したり、露骨に態度に出したりすることは望ましくありませんが。
このように、「他者の利益」のために必ずしも「自己の利益の犠牲」が必要というわけではありません。
「自己犠牲こそが美徳」という考え方を否定するつもりはありませんが、「自己の欲求」に従って利益を追求すること自体は決して悪いことではありません。
むしろ、ヒトとして自然な行動です。
そして、「各々が高いレベルの欲求を満たすために行動した結果、お互いに利益をもたらす」という状態が理想的であると私は考えています。
仕事も同様で、「自己の欲求」に従って仕事に打ちこむことで、その仕事が仲間や社会に利益をもたらせばよいのです。
そこで、まずは「仕事をすることで自分にどのような利益があるのか?」「自分は仕事に何を求めるのか?」を再考してみることをおすすめします。
働く目的① 生きる
それでは各論に入ります。
「働く」ことの根本的かつ最大の目的は「生きる」ためです。
私たちは生きるために「食べて、飲んで、寝る」必要があります。
完全に自給自足している人を除き、大半の人は「お金」を払って食料や水を得て、寝る場所(家)を確保しています。
そして、自分の時間や知識、技術を提供して「働く」ことで対価として「お金」を手に入れることができます。
もちろん現代社会では生活保護などセーフティネットの制度があるため、「働けない」イコール「命の危機」へ直結することは多くありません。
しかし、本質的にはやはり「生きるために働く」という面は変わっていないものと考えています。
「マズローの5段階欲求説」でも、「生きる」ことそのものに関する欲求は1~2段階めの「生理的欲求」「安全の欲求」に該当します。
働く目的② コミュニティの一員としての役割
生きるために必要な「衣食住」や「お金」を確保することだけが働く目的ではありません。
「衣食住」や「お金」のような物質的な満足だけでは、長期的にはモチベーションを維持し続けることは容易ではないのです。
物質的な欲求が満たされると、多くの人は内面的な充実を求める傾向にあります。
その中の1つが「コミュニティの一員としての役割」です。
例えば、「自分にしかこの仕事はできない」「自分の仕事が会社や仲間、社会の役に立っている」「自分の仕事や能力が他の人から認められている、尊敬されている」「目指している理想の自分像に一歩近づけている」などのように感じられれば、「仕事のやりがい」は一気に高くなります。
「マズローの5段階欲求」では3~5段階めの「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」にあたります。
働く目的③ 仕事自体のおもしろさ
究極かつ理想的な「働く目的」は「仕事自体のおもしろさ」です。
この領域まで到達すると、もはや「働く」ことは「何かを得るための手段」ではなく「手段でもあり目的そのものでもある」という状態となります。
プロ野球選手やプロサッカー選手、プロ棋士などの最上位層、いわゆる「トップオブトップ」を想像するとわかりやすいかもしれません。
もしかしたら彼ら彼女らの中にも、「お金持ちになりたい」「有名になって尊敬されたい」「異性にもてたい」というモチベーションでプロを目指した人もいるかもしれません。
しかし、おそらく途中から(あるいは初めから)はそのような次元を超越しています。
「野球やサッカー、将棋そのものがおもしろい」→「もっと上手くなりたい」→「努力する」→「上手くなってさらにおもしろくなる」→「さらに努力する」
のようなシンプルなループをくりかえしていると推察されます。
その結果として最高レベルのパフォーマンスを維持できるのだと思います。
そして、その「副産物」としてお金やあこがれや尊敬を得られるだけでなく、見る人にも楽しさや喜び、夢や希望を与えることができます。
このように「自分の仕事に熱中し追求することで、自分のみならず周囲の人や社会にも利益をもたらす」状態が理想的な働き方の1つではないかと私は考えています。
「そんなの才能に恵まれた選ばれし人間にか不可能」と思うかもしれません。
しかし、そんなことはありません。
人はそれぞれ能力を発揮できる分野は異なります。
プロ野球選手やプロサッカー選手のトップであっても、プロバスケットボール選手のトップになれるとは限りませんし、実際引退後に実業家に転身しても全員成功しているわけではありませんね。
アスリートやアーティストのように目立つ仕事ではなくても、「自分が得意な分野」「自分が好きな分野」を突き詰めることで同様のことは可能です。
例えば、ラーメン屋さんが「もっとおいしいラーメン」を追求すれば、お客さんがおいしいラーメンが食べられ幸せになります。
また、ゲームメーカーが「もっとおもしろいゲーム」を追求すれば、ユーザーはさらに楽しむことができます。
あるいは、仮に現在「単調でやりがいがない」「おもしろみがない」と感じている仕事でも、その中に「自分の色」をみつけることができ、そこを突き詰めれば「おもしろさ」が生まれてくるかもしれません。
これは私の印象ですが、「少しの努力でそこまで苦労することなくできるようになった」ことは「自分に向いている」可能性が高く、継続すれば大きな結果を得られる可能性が高いです。
いま現在「やりがい」や「おもしろみ」をあまり感じられないことでも、向いていそうであれば最大限の努力を続けることで「トップオブトップのループ」に入れるかもしれません。
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